ーーー「もうそろそろ帰りましょうか」
雑誌の編集の方とカメラマンさんは、もう撤収をしかけていた。
夜の2時前。僕も濱本さんも、魚を何匹か釣り上げ、取材は既に成立。
けれど、気になるボイル音が聞こえてくる。
「ちょっと、これ最後にするんで投げさせて下さい」
僕は、この日の締めの一投を振りかぶった。
ーーー「もうそろそろ帰りましょうか」
雑誌の編集の方とカメラマンさんは、もう撤収をしかけていた。
夜の2時前。僕も濱本さんも、魚を何匹か釣り上げ、取材は既に成立。
けれど、気になるボイル音が聞こえてくる。
「ちょっと、これ最後にするんで投げさせて下さい」
僕は、この日の締めの一投を振りかぶった。
元々、釣りを始めたのは幼稚園の頃。親父に連れられて、いろんなスタイルの釣りをやってきた。
2007年、何気なく読んでいた「ルアマガジンソルト」の1つの記事に釘付けになった。それはAPIAテスターの濱本国彦さんが、高知で116cmのシーバスを釣った記事。
「家の近所でこんなにスゴいのが釣れるんだ...いつかは自分も」
僕は、シーバス釣りに傾倒していった。フローティングベスト、ロッドなど次々買い揃えた。毎晩のように友達と、釣りに出かけた。
そして少しずつ新しい知り合いも増えていった。いつも頭には、あの雑誌で見た濱本さんの姿を想い描いていた。
「今度、濱本さんが高知に来るんだけど、一緒に釣ってみない?」
知人からそんな誘いを受けたのは、シーバス釣りにハマってから2、3年が過ぎた頃だった。当日は、自分で釣るのも忘れて、濱本さんの釣りにかぶりついた。質問攻めにする僕に、濱本さんは嫌な顔ひとつせず本当に色んな事を教えてくれた。
プロの腕と経験の違いを、間近で見た僕はすっかり火がついて今まで以上に、釣りに出かけるようになった。
造船所で働き、仕事が終われば、釣りに行く。夜中まで粘った日も、朝になったら仕事に行き、また帰ったら釣りに行く。そうして釣って、釣って、釣りまくって、大物が釣れた日には濱本さんに電話した。高知に来られた時には、ご一緒させてもらうようになっていた。そんな縁がきっかけで、僕はAPIAのテスターになった。憧れていた人と、憧れていたメーカーで一緒にがんばれる。それが何より嬉しかった。
そうして迎えたのが、濱本さんと僕で雑誌の同行取材。僕は、Foojin'Rの最終プロトに濱本さんがプロデュースしたルアー「ラムタラ」をセットしていた。
現場が撤収ムードになった頃、桟橋の方で、またボイル音がした。濱本さんも何度か探っていたポイントだった。帰ろうかという、間際になって僕は思い出した。その日まだ試していなかったルアーの動かし方を。ポイントを狙って、投げる。動かす。
濱本さんも僕の意図に気がついて、「なるほど、それは試してなかったなぁ」とつぶやく。
「バカン!」と破裂音が響く。
巨大な魚の顔が一瞬見え、衝撃がロッドを襲う。来た! 暗がりの中とはいえ、かなりの大物であることはわかった。
ヒットした桟橋の周りは障害物だらけ。巻かれると、すぐにラインは切られてしまいそうだった。僕は相手を誘導しながら、安全な所に回り込むべく駆けだした。濱本さんも駆けだした。
車に置いてきたタモを取りに行ってくれたのだ。
「走り出すなよ...」今思えば、僕は意外なくらい冷静に対処していた。この時点では、まだアカメだと思っていたのだ。魚は幸いにも障害物のない方向へ泳いでいく。ハァハァと息を切らせながら、タモを手に濱本さんが戻ってきた頃には、魚のサイズが見えてきた。
「これ、ホントに魚?...とんでもなくデカい!」急に自分の足が震え出すのを感じた。これまで大きな魚は何度も見てきたが、明らかに別格。タモに収まりきらないことを見てとった濱本さんは、沼状の水辺に飛び込んだ。泥川に腰まで浸かってハンドランディングすべく待ち受ける。僕は、濱本さんがその巨大な魚を手に掲げたのを見てからもしばらくは呆然とその姿を見ていた。いつか雑誌で見て憧れていた光景が目の前にあった。
おまけに、その張本人である濱本さんの目の前で、彼のプロデュースしたルアーで釣り、彼にランディングしてもらって、その幸運をたぐり寄せた。運命とも感じるような偶然に、頭が真っ白になった。
ーーー「ボーっとしてんと、取りに来い!」
という濱本さんのうれしそうな声でようやく我に返った。
サイズを測る段階になっても、まだ僕は夢の中にいるようだった。
タイリクスズキ。121cm、15kg。
取材中にあがった中では、前代未聞のサイズらしい。
「どうする?これ剥製にでもするか?」
濱本さんに聞かれたとき、僕は、迷わず「リリースしましょう」と言い切っていた。実際にこの魚と対面する前までは、飛び切りのサイズを仕留めたら魚拓を取って、剥製にして...と考えていたはずなのに。けれど、この巨大なる遺伝子をそんなことのために殺すわけにはいかない。この魚の子孫は、きっとまた大物のDNAを受け継いでいく。
見れば、まだまだ魚体は若い。さらに成長する可能性だってあるじゃないか。
リリースすれば、自分に感動を与えてくれたこの魚が、また違う釣り人に出会い、同じような感動を分かち合うこともできる...そんな光景が目に浮かんだ。
だから撮影する間も、写真映りよりもこの魚を弱らせないことを優先した。
水を手で送り、いたわりながら何枚かカメラに姿を納め、元気なウチに送り出した。またどこかで、会おうなと心の中でつぶやいて。
この一匹と出会うことで、いろんなことが変わった。夢だった雑誌の見開き記事に自分の姿があった。
ブログやフェイスブックでも大きな反響があり、フィッシングショーでも多くの釣り人から、「雑誌見ました!」と声をかけられた。人生で初めて、サインをねだられた時は、濱本さんに「どうやって書きましょ?」とこっそり相談した。
会社の人たちも、うれしそうに「雑誌、買ったよ」と笑ってくれた。
一匹の魚との出会いで釣り人は、変わっていく。僕は、APIAの掲げてきた「アングラーズユートピア」の1つのカタチを体感したような気がする。
そしてロマンは、世界と繋がる高知の海で、未だに育ち続けている。